30-17 52鵜沼宿~51太田宿

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                          ① 2016年4月23日鵜沼宿~鵜沼駅まで歩行

 

                          ② 2016年5月2日 鵜沼駅~太田宿へ歩行                    

 

 

 

                    52鵜沼宿~51太田宿

 

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 歩行目次

 

  1-① はじめにー2-一里塚 101里についてー3-中仙道六十九次絵図 鵜沼宿ー

 

  4-尾州領傍示石(西)ー5-尾州領傍示石(東)ー6-高札場(復元)ー7-赤坂地蔵堂と鵜沼宿東見付跡

 

  8-① おわりにー9-② はじめにー10-赤坂の石塔群ー11-合戸池ー

 

  12-うとう峠についてー①,②、③うとう峠一里塚跡④小田原宿喜右衛門供養塔について

 

    ⑤山頂付近の広場⑥、⑦中山道案内板、トンネルー13-勝山(取組)一里塚跡ー14-諷詠の径ー

 

  15-坪内逍謡ゆかりのムクノ木ー16-虚空蔵堂と大井戸の渡し跡付近ー17-太田代官所跡ー

 

  18-郡上街道追分道標と高札場跡ー19-太田宿本陣跡ー20-太田宿脇本陣跡ー21-② おわりに

 

1-① はじめに

 

  当日は、鵜沼宿~鵜沼駅まで歩行しま~す:

 

  一里塚 101里ー不明(塚名と場所不明)

 

                 100里 うとう峠一里塚 確認

 

        99里 勝山(取組)一里塚 確認

 

 2-一里塚 101里についてー不明(塚名と場所不明)

 

   (私:水戸赤門);色々な資料を見ても101里は不明とされていま~す:、

 

 3-中仙道六十九次絵図 鵜沼宿 英泉筆

 

   (私:水戸赤門);英泉は、犬山城天主閣と大手門を描いていま~す: 

 

  この構図の場所は、中山道を歩いていても見当たりません:

 

  そこで、以前歩いた事のある犬山城天主閣よりの画像を掲載しま~す;

 

  52

 

  Pict0057_2 Pict0054_2 犬山城

 

 4-尾州領傍示石(西)

 

   (私:水戸赤門);「是より西尾州領」と彫られていま~す:

 

  Dscf1581

 

 5-尾州領傍示石(東)

 

   (私:水戸赤門);「是より東尾州領」と彫られていま~す:

 

  Dscf1587 Dscf1590

 6-高札場(復元)

 

   (私:水戸赤門);「ここは、高札場(復元)で~す:

 

  Dscf1592

 

 7-赤坂地蔵堂と鵜沼宿東見付跡

 

   (くもじい);くもじいじゃ;地蔵さんの前掛の下には、

 

  {右側に(右ハさいしょ「在所」みち・左側に(左ハ江戸井せんこうし「善光寺」みち}と

 

  彫られていて、道標も兼ねていたんじゃ:またこのあたりが鵜沼宿の東の見付跡だったん

 

  じゃヨ:

 

  Dscf1593 Dscf1595

 

  Dscf1597

 

 

 

 8-① おわりに

 

  赤坂地蔵堂より中山道より外れ鵜沼駅まで歩行して、本日の歩行は終了

 

   私の本日の手力駅~鵜沼宿~鵜沼駅までの総歩行距離:13865m

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 9-② はじめに   鵜沼駅~太田宿へ歩行

 

  ①本日は、名鉄新鵜沼駅に着いた私は、名鉄新鵜沼駅の東口より、連絡橋を利用し

 

  JR鵜沼駅まで進み、(**名鉄新鵜沼駅とJR鵜沼駅は、連絡橋で繋がっている)

 

  前回終了の2016年4月23日歩行の赤坂地蔵堂より中山道を歩行しま~す。

 

  ② (私:水戸赤門);{オヤ:ペチャクチャ高笑いして前を歩いてのは、水戸黄門様御一行

 

     ですネ}:水戸黄門様御一行、弥次さん、喜多さん、犬のハチ大変お待たせしました。

 

     (水戸黄門):赤門殿、待ちかねましたゾ:

 

     (弥次さん、喜多さん):ヨゥ:今日もよろしく頼みますヨ:

 

     (犬のハチ):ワン:ワン:

 

     (水戸黄門):サァ:元気に歌でも歌ってまいりましょうゾ:

 

     (一同):人生楽アリャ苦もあるさ、涙の後には虹も出る。

 

     歩いてゆくんだしっかりと。自分の道をふみしめて

 

     {と歌いながら中山道を歩く一行だった。}

 

 10-赤坂の石塔群

 

   (私:水戸赤門);ないゾ:ないゾ:{周りをキョロ:キョロ}:

 

  (水戸黄門):赤門殿:財布でも落としたのですか?:

 

  (私:水戸赤門);実は、ここに赤坂の石塔群がないんですヨ:

 

  元禄11年(1698)、享保17年(1732)、明和3年(1766)などの年代物が並んだ、

 

  赤坂の石塔群が無いんですヨ:どこかに移転されてしまったのかな~:

 

       {よって画像はありませ~ん}

 

 11-合戸池

 

  (くもみ);くもみで~す:江戸時代の絵図にも登場しているんですヨ:

 

  池の水は、江戸時代から農業用水として利用されていたんでスゥ~:

 

  Dscf1598

 12-うとう峠について

 

  ① 各務原市の森の交流館・森の本屋さんから石畳が始まって山頂付近の広場まで

 

    石畳である。(案内板に従い迷う事はない)

 

  ② 森の交流館・森の本屋さんが、休館日の時はフェンスで門が閉まっていて、

 

    道は、ふさがっているが、フェンスの門の脇(一人分の隙間)から歩行する:

 

  ③ うとう峠一里塚跡

 

   (くもみ);くもみで~す:ここは江戸より100里なんですヨ:

 

   Dscf1601 Dscf1603

 

  ④ 小田原宿喜右衛門供養塔について

 

    (私:水戸赤門);山頂近くにあるらしが、見落としたか?見当たりません~:

 

   小田原宿喜右衛門供養塔は、うとう峠で盗賊に襲われ命を落とした供養塔です:

 

    {:よって:画像はありません}

 

  ⑤ 山頂付近の広場の右手には小さな池があります:ここまで石畳です:

 

   Dscf1605 

 

  ⑥ 広場の右手には小さな池から未舗装の山道を下りますが、迷う道はない:

 

    {ただし、江戸より歩行の方は、山頂付近の広場の小さな池までに、二又に分かれて

 

    いますが、ここは、右手の上りを歩行して下さいー道標は無かったですヨ:}
 

 

    {画像はありません:歩行地図に記載しましたので参考に:}

 

  ⑦ 山道を下り、中山道の案内板が左手にあり、国道をくぐるトンネルを歩行し、階段より

 

    カフェテラスゆらぎ(営業はしていません)の脇を通って行きます。

 

   Dscf1606 Dscf1608 中仙道案内板

 

   Dscf1609 国道をくぐるトンネルを歩行

 13-勝山(取組)一里塚跡

 

  (くもみ);くもみで~す:ここは江戸より99里の一里塚ですヨ:

 

  Dscf1612 Dscf1615

 

 14-諷詠の径

 

  (私:水戸赤門);弥次さ~ん、喜多さ~ん:大好きな俳句の碑が一杯ありますヨ:

 

  (弥次さん、喜多さん):ウヒャ~:一杯ありますネ:

 

  (私:水戸赤門);ここには、芭蕉の俳句など多くの銘板があるんですヨ:

 

    ①{菜畑に 花見かほなる 雀かな 芭蕉翁}

 

    ②{海士の屋は 小海老もましる いとヽ哉 芭蕉翁}

 

  問題で~す:弥次さ~ん、喜多さ~ん:どこに芭蕉さんの碑があるんでしょうか~?:

 

  (弥次さん、喜多さん):ワシラ~:解りません:黄門様教えて下さ~い:

 

  (水戸黄門):諷詠の径の銘板より、左手に沿って①、②の句があるんじゃ:

 

  (私:水戸赤門);ピンポ~ン:正解で~す:

 

  Dscf1619 Dscf1620

 15-坪内逍謡ゆかりのムクノ木

 

   (くもじい);くもじいじゃ;坪内逍遥は小説家とて主に明治時代に活躍した人物じゃ:

 

  坪内逍遥が虚空蔵堂で遊んだと云われ、裏手に逍遥ゆかりのムクノ木がある:

 

  逍遥の父は尾張藩藩士で、太田宿にある代官所の役人だったんじゃ:

 

  Dscf1625 Dscf1628

 16-虚空蔵堂と大井戸の渡し跡付近

 

   (くもじい);くもじいじゃ;虚空蔵堂辺りが、大井戸の渡し跡付近なんじゃ:

 

  尚、このあたりは、承久3年(1221)の「承久の乱」で、後鳥羽上皇率いる朝廷軍と

 

  鎌倉幕府軍が木曽川を挟んで激しく戦った場所なんじゃ:こちら(太田宿)側は朝廷軍、

 

  対岸(可児)側は幕府軍じゃった:

 

  Dscf1622 木曽川写す

 

  Dscf1632 Dscf1631

 17-太田代官所跡

 

   (私:水戸赤門);これより、中山道より外れて、左折し約35m先の太田小学校にある

 

  太田代官所跡を見学に参りま~す:太田小学校は、尾張藩太田代官所跡で、

 

  中津川から鵜沼までの中山道と木曽川に沿った尾張領を治めていたんですヨ:

 

  Dscf1634 Dscf1636

 18-郡上街道追分道標と高札場跡

 

   (くもじい);くもじいじゃ;追分道標は明治26年(1893)に建立されたもので、

 

  刻まれている文字は「右 関上有知 左 西京伊勢 道」なんじゃ:

 

  また、ここには高札場跡があったんじゃ:

 

  Dscf1637

 

  Dscf1641 Dscf1644

 19-太田宿本陣跡(福田家)

 

   私の地図上 鵜沼宿~太田宿 歩行区間歩行距離:8995m

 

   (くもじい);くもじいじゃ;本陣は代々福田家が務め、本陣門は皇女和宮が降嫁の際に

 

  新築されたものじゃが:現在はこの本陣門だけで、建物は存在してないんじゃ:

 

  (水戸黄門):サァ~:皆の衆:ここでお茶でも頂いてまいりましょうゾ:

 

  私は偉いんじゃから:小判のお茶菓子も頂けるからノ~:

 

  (一同):ハ~ィ:{????}

 

  Dscf1648 Dscf1652

 

 20-太田宿脇本陣跡(林家)

 

   (くもじい);くもじいじゃ;主屋は明和6年(1769)、表門は天保2年(1831)の建築

 

  なんじゃ:国指定重要文化財となっておる:

 

  Dscf1655 Dscf1662

 21-② おわりに

 

  当日、これより伏見宿までの途中の美濃太田駅まで、歩行しま~す:

 

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